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わたらせ渓谷鐵道間藤駅

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間藤駅は、わたらせ渓谷鐵道の終着駅で標高661mの地点に位置します。1914(大正3)年8月、足尾鉄道は足尾駅と本山駅間が開通し、11月から中間の間藤駅が旅客駅の終点になりました。国鉄時代は、足尾工場製品の貨物発送駅として機能し、貨物収入が旅客収入を上回る時代が続いたそうです。鉄道開通以前は、敷地内には運輸課がありました。当時は馬車鉄道輸送が主力だったことから、厩や馬蹄小屋などを設け馬頭尊を祀り安全祈願をしていました。その後、工作課の業務拡張に伴い、渡良瀬の運輸課に移転し馬頭尊も渡良瀬に遷座されています。

 

龍蔵寺 日光山輪王寺

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松木村墓塔・・・現存されている方々がお参りにいらしています。

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明治維新時の住職大忍坊は、明治政府に疑問を持った雲井龍雄事件に関わることになり、兄弟子の桜正坊が斬首されると龍蔵寺に弔いましたが、大忍坊も見つかって処刑されてしまいます。左側の鳳夢城が大忍坊、右側の香樹林が桜正坊です。近代住職の墓群の中にあります。

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坑夫の墓供養塔・・・鉱山の友子制度で親分は子分のために子分は親分のために尽くした一例です。

 

日光開山の祖である勝道上人は、日光男体山を霊山に見立てその頂上に登山して日光を開基しましたが、登頂成功まで二度失敗しています。その際、中禅寺湖から尾根を辿って足尾の庚申山に達し、そこに猿田彦命を祀り、次いで807年5月、赤倉に龍蔵寺の基を開いたと伝えられていますが、また701年に役の行者が開いたともいわれています。以後、日光山の系列として座生である座禅院の庇護の下にあり、明治4年に日光山輪王寺の末寺となっています。1887(明治20)年の松木の大火で全焼しているため古い延記帳が残っていないのが残念です。ここには、全国各地の坑夫たちの墓が残っています。多くは、本山坑で働いた坑夫たちが眠っています。北は秋田、南は兵庫県生野。坑夫の親方の供養のため友子一同が共同で建立した墓も多くあるようです。また、本堂に向かって左側のピラミッド型の墓群は、旧松木村の墓石を集めて供養しております。

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