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往時の鉄道唱歌~足尾編

往時の鉄道唱歌~足尾編

大正元年に敷設された足尾鉄道は、直後に歌われた鉄道唱歌に7曲も組み込まれました。汽笛一声新橋を・・・・で知られるこの歌は全国の風物を謳いこんだものです。

1.♬汽笛一声新橋を 早や吾が記者は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として~

足尾線編

31.♬町をめぐれる渡良瀬の 水上(みなかみ)深く尋ねれば いにしえ勝道上人が 白き猿(ましら)に案内(あない)させ

32.♬分け入り初めし(そめし)所とて その名に因む庚申山 百間幕(ひゃっけんとばり)の巖石を ながめてゆけば茸石(きのこいし)

33.♬さきにそばたつ櫓石(やぐらいし) 見るもいぶせき女体石(にょたいせき) おののきおののき一の門 くぐれば数丈(すじょう)の梵字石(ぼんじせき)

34.♬谷間にそいて屹立(きつりつ)し 風に傾(かた)ぶく風情なり さらに進めば富士見石 拳に似たるさざえ石

35.♬ろうそく石は道野果て ここに踵をめぐらせば 胎内くぐり二つあり 小なるほうは葡匐(はらば)いつ

36.♬大なるほうは立ちしまま くぐりくぐれば奥の院 数えつくせぬ怪石の 奇景は真に別世界

37.♬山に続きて二里南 銅鉱出だす足尾なり 富田すぐれば佐野の駅 葛生越名にいたるみち

 

 

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足尾線の歌🚊

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  🎵 もしもし 発車をしましょ 間藤から

   足を(足尾)洗って通洞へ

   

   原の向こう(原向)でぞうりを(沢入)を買って

   ゴーッと(神土)出たら花輪かね

   

   水沼浴びて乾杯(上神梅)しましょ

   大間々さんと逢引して桐生まで🎵

全山運動会応援歌~全町運動会・高校・中学校・小学校応援歌

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古河鉱業全山運動会~足尾町民運動会へと受け継がれた応援歌は当時8軍に分けられていました・・・

・足尾高等学校体育祭応援歌としても採用・・・赤・白・青・黄(文化祭と一年おきに開催し誕生月で振分けた)昭和4850年代

足尾町民運動会応援歌(平成まで実施)・・・白(本山、愛宕下、赤倉、深沢、南橋、上間藤、上の平、下間藤)黄(田元、渡良瀬、神子内、野路又、芝の沢、掛水、鍵金、内の篭、向原)青(赤沢、松原、通洞)赤(砂畑、中才、遠下、切幹、唐風呂、餅ヶ瀬、小滝)・足尾中学校運動会応援歌・・・町民運動会と同様で徐々に赤と白の2軍になった。昭和4547年基準 閉山:昭和482月末

 

 

 

 

 

    白軍

 

 

     1.  紅脅し 白駒の 

 

    背に跨がえる 若武者が

 

    若き心の さながらに

 

    とりてぞ立ちし 我が戦士

 

 

 

     2.  天は晴れたり いざやいざ

 

    気は高鳴りぬ いざやいざ

 

    待ち日はこの日の 栄光ぞ

 

    戦わんかな 時至る

 

 

 

     3.  正義の刀振りかざし

 

    進み手握れ この栄えを

 

    誠を尽くして 戦えば

 

    勝利の光 輝かん

 

 

    黄軍(オリジナル)

 

 

     1.  澄みわたる 秋空のもと 

 

    栄冠目指し 我ら競う

 

    日頃鍛えし この鉄脚

 

    黄軍は常に 勝利をめざす

 

    進め我ら 黄軍の戦士

 

 

 

     2.  晴れわたる 秋空のもと 

 

    栄光目指し 我ら競う

 

    日頃鍛えし この鉄腕

 

    他軍は常に 砂塵を被る

 

    進め我ら 黄軍の戦士

 

 

 

  

    青軍応援歌(早稲田大学応援歌利用)

 

 

     1.  紺碧の空 仰ぐ日輪

 

    意気と力の相寄るところ

 

    青軍戦士 闘志は燃えて

 

    理想の勝利へ進むもの我ら

 

    青軍 青軍 覇者覇者 青軍

 

 

 

   2.  早や我が腕に勝ち得し栄光

    威力敵なき我らの精鋭

    青軍戦士 歓喜溢れて

    栄えある勝利をつかむもの我ら

    青軍 青軍 覇者覇者 青軍

 

 

 

 

             赤軍応援歌(小滝応援歌)

 

 

           1.  山晴れ水澄む 我らが赤軍

 

       自然は常に 我等を恵む

 

       強き心と 鍛えし身体

 

       勝利は常に 我等に輝く

 

 

 

           2.  必勝の闘魂 一致団結

 

       我らがひとたび 奮起するとき

 

       行く手さえぎる 何者もなく

 

       勝利は常に 我等に微笑む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月下の傍心虹

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この虹は、公式には世界で2例しか記録のない非常に珍しい【月光の傍心虹】がこの場所で観測されました。

観測日時:昭和4年5月24日(月齢4月16日満月)午後8時から9時30分までの間に観られたようです。

傍心虹とは、主虹の横にこれと接してできる虹のことで、この虹の原因はわかっていません。

また、この現象は月夜に限られたことではありません。

 

これに似たような現象が、20年程前に起きました。確認してみると、片方は松原地区のメイン通りホルモン末広さん前から田元地区の公営住宅北側の渡良瀬川手前までと、もう片方は渡良瀬地区の山から東側の山の向こうにかけて、どちらも大きな大きな虹でした。

 

備前楯山

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昔々そのむかし。

備前の国からやってきた治部と内蔵ちゅうもんたちが、黒岩山の天辺で金銀銅のなかでも銅のでっかい塊をみつけたそうじゃ。

「こりゃあ!てえへんなもんを見つけちまったなあ!」と慌てて日光座禅院に知らせたそうじゃ。

「これは、これは!良い知らせをしてくれた。褒美にお前たちの故郷の備前にちなみ、これより先、黒岩山あらため、備前楯山と名づけようぞ!」

それからは、黒岩山ではなく備前楯山になったそうじゃ。1610年、江戸のはじまった徳川家康時代のことじゃ。

備前楯山はヤシオツツジが綺麗でのう。

行ってみなされ!

【読み方】治部(じぶ)内蔵(くら)備前楯山(びぜんたてやま:通称:びぜんだて)

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