ご案内

呑竜寺 太田大光院足尾別当所

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浄土宗 本寺は群馬県太田大光院:呑竜寺は俗称で群馬県太田大光院足尾別当所として明治32年4月に創建されました。最初は呑竜祠堂でした。呑竜上人像があります。明治39年に焼失しているため寺宝は有りませんが、薬師堂があります。気さくな和尚さまなので人生相談等々・・・お訪ねください。

本妙寺 身延山久遠寺

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師田中徳兵衛の墓・・・近世初期の鉱山師で、渋川上流に徳兵衛坑の名が残っています。

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田中一族の墓・・・田中彦松は、近世銅山衰亡期に最後まで残った鉱山師で、嘆願書など多くの文書が残っています。

明治17年没の田中準吾は、戸長も務め市兵衛と交渉があり、近世銅山文書を提供したことが、古河市兵衛翁伝に書かれています。

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田中一族の家臣須永家の墓

法華経、金峰山と号します。本尊は薬師如来。本寺は身延山久遠寺

正嘉元年4月8日、禁裡北面の武士遠藤某出家して薬師坊と称し、薬師仏を安置しこの堂を創立しました。文永2年の秋、日蓮上人が巡錫してここに一泊した折、法論の上、弟子となり日因と称しました。後に円立院日真に至って甲斐国身延山に至り久遠寺の末寺となり金峰山本妙寺の称号を得ました。寛永2年9月に本堂を改築しましたが、明治6年、明治32年、昭和初期と何度も火災に遭い延記帳が途切れているそうです。

波之利大黒天

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昔々そのむかし。勝道上人が男体山登頂を目指していた頃に、白ねずみの後を追って来山した際にここ渡良瀬で波之利大黒天を掘り奉納したとされる場所です。当時の木彫りの波之利大黒天は、この地に創建された宝増寺に安置されています。明治元年に赤沢に移転しています。近年、ここに脚の痛さを取る祈願をした方が、願いが叶ったと石碑を奉納されました。栃木県佐野市にある唐沢山城内の唐沢山神社には足尾山神社があり、やはり足の神社とされるようです。 

専念寺 本願寺流本願寺派

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浄土真宗本願寺派専念寺は、上間藤にありましたが、明治20年の松木の大火により罹災し、松原に明治32年開説しました。本尊は阿弥陀如来。大正2年の近火により同年再建されています。元々この地には、大円寺というお寺がありましたが廃寺となり、専念寺の裏手には銅山関係の立派な石碑が残っています。

・・・足尾銅山沿革・・・大円寺には銅山発見の由来を記した石碑が建てられたとし、山師総代が代官への差出文書に、治部、内蔵の銅山発見を知った”山崎治兵衛、近藤五郎左衛門ノ二人・・・山師名代ト為り鉱業ヲ管掌シ巨利ヲ得テ其ノ国ニ帰レリ。当時建立スル所ノ石碑”とあります。

 

通洞鉱山神社

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通洞とは、鉱山に行くとどこにでもある坑道で、鉱山の主要な役割をする中心的な坑道を指します。狛犬研究の第一人者に言わせると、日本全国探しても見当たらない愛嬌のある狛犬。この狛さんをなでなでしましょう・・・そしてあなたの思いが通じますように!

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